第23回 夏の夜の戯言
商業施設新聞 2016年8月9日(火)掲載
「開発」をテーマにしたこの原稿に着手しようと思っていた矢先、たまたま昨夜親子というよりもっと下の若い連中3人と新宿の寿司屋で楽しい時間を過ごす機会があり、その帰り道のこと。
「だから開発はオモシロイ」のタイトルからは逸脱するとは思うが、もしかするとM編集長から怒られるかもしれないと危惧しつつも、急遽予定を変更して感じるままにしたためてみたいと思うのである。
ほどほどの心地良い酔いを感じながら帰途のJR新宿駅のホームにたどり着いた。時計の針はもうすぐ午後11時になろうというのにホームは電車を待つ人達でいっぱいで、10人ぐらいの若い男女の行列の後ろに並んだ。今時さほど珍しい光景ではないが、全員一様に下を向いている。スマホを手にして何か一生懸命だ! 配信されたばかりの「ポケモンGO」をしているのか、それともニュース画面を見ているのか。かくいう自分は出たばかりの伊集院静のエッセイ『大人の流儀6』をカバンから取り出した。
しばらくして電車が到着、皆下を向いたまま電車に乗り込んでいった。今の時代、手軽にどこでもゲームで遊べるし、分厚い百科事典以上の機能もあるスマホほど素晴らしく便利な道具はないと断言できる。しかし、スマホに夢中な人達は「自分で何かを深く考える」ということがあるのだろうかと思うし、また「漱石」「武者小路実篤」はたまた「司馬遼太郎」「吉川英治」などなど、数え上げたらきりが無いほどの古典と言われる本を読んで、その作品から何かを感じたことがあるのか? 学べることが必ずあるはずだと思ってしまうのである。それらの本は今ブックオフに行くと1冊108円で買えるのに。
「時代は変わってきているのだ」との意見もあるかもしれないが、「生き方」「考え方」そして「仕事の本質」はいかなる時代になろうとも「不変」である。不変なのは映画の主役「ゴジラ」だけではない。
せめてこの拙文を目にした開発に携わる人にだけはこの「不変の理」を忘れないで欲しいと思うのである。
古稀70歳に近いオヤジの戯言かも知れないが、果たして10年後20年後「漱石」は「司馬遼太郎」はどうなっているのだろうか? そんなことを考えた真夏の夜である。